【今週のお題】ゲームの思い出
今週のお題「ゲームの思い出」についてちょっと考えてみるよ!
「 【今週のお題】ゲームとわたし」って書いてあるけど、クリックすると「ゲームの思い出」って書いてあって、「ゲームとわたし」カテゴリの今週のお題が「ゲームの思い出」ってちょっとよくわからなかったけど、たまにはこういうのもいいかもしれない。
というわけで、「ゲームとわたし」にしても「ゲームの思い出」にしても広すぎるしありすぎるのでどうにか絞って書いていきたい所存です。
お題なんて普段気にしてなかったので、趣旨が違ったら申し訳ないですが。
ファミコン発売35周年
1983年7月15日、ファミリーコンピューターが発売されたらしいですよ!今年で35周年だなんてめでたい!
ファミリーコンピューター自体ちょっとしかやったことがないんですが、フォルムとか結構好きです。
さて、ファミリーコンピューターが関係するもので思い出深いシリーズといえばこんな感じです。
絶対他にもあるとは思うのですが、ぱっと思い浮かぶ・ファミコンにそのシリーズがあるのを知っているのはこの辺りです。
もはや誰もが知っている超人気タイトルばかりですね!
実際、ファミリーコンピューターでやったことがあるゲームは、サンリオキャラクターが出てくるパズルゲームくらいのものなのですが…。
ざっと35年前になるのすごくないですか。現代にゲーム文化が根付いて良い時代になったと感じます。生きやすい…。
「ゲームの思い出」
FF6(ファイナルファンタジー6 スーパーファミコン)
せっかく夏なので、夏っぽい話にしようと思います。地元の小中学生は今日が終業式です。夏休みが始まりますねー。
夏休み、親は不在の平日でした。兄は朝からスーパーファミコンでFF6をプレイしていました。私はそれをぼんやり眺めながら、夏休みの宿題をしていたような気がします。
その日は台風が接近していて、気温が下がり、昼前なのに暗くなってきていました。ゲームに夢中だったので、明かりをつけることもなかったのです。
今思うと、なんで雷鳴ってるのにゲームしてるんだよって思いますね。停電怖い。
さて、兄はその日の朝にFF6を最初からプレイしていました。天気が荒れ始めたころ、FF6ではマッシュたち一行は迷いの森へ。
その時、雷が近くで落ちたのか、窓が光ったと同時にTV画面もピカッと一瞬光ったんです。
これには感動しました。大迫力!なわけです!!現実とのシンクロってすごくないですか!!鳥肌立ちました!
そんな天気の悪い薄暗い中で、魔列車の中はめちゃくちゃ雰囲気ありました。BGMと雨の音がシーンを盛り上げてくれて興奮しましたね。
ボス戦の時にお決まりなのが、マッシュでメテオストライクです。持ち上げちゃう……。
ボス戦後、カイエンの妻と息子が最期のお別れを言うシーンは毎回泣いています。カイエンが仲間になるまでの話、つらすぎです。
以来、私は雷が鳴るとFF6を思い出してしまうようになりました。TV画面が部屋全体に広がるような感覚、なかなか味わえるものではないのでとても貴重な体験です。
ゲームとわたし
ここから個人的すぎる話ですが、「わたし」って書いてあるしそうなるのも仕方ないですね。
ゲームを許してもらえた環境
生まれた時から家にTVゲームがあって、女であっても自由にゲームをさせてくれていた環境で育ててくれたこと、本当に良かったと親に感謝しています。
友人には、親がいない間にこっそりとしかゲームをできない子、女だからという理由で(弟は自由にゲームをしていたそうだ)ゲームをさせてもらえなかった子もいたので、本当に心からゲームがいつもすぐそばにあってよかったと思っています。
さらに、恵まれていたことに私には兄弟がいるんです。つまり、それぞれ別のゲームを買ってもらえば他のゲームでも遊ぶことができる!すごい!!対戦ゲームもいつも誰かと遊べるし、協力もできちゃう!
ただし、ド下手だったので「じれったい」「見ていられない」とコントローラーをよく取り上げられたのはつらい思い出。
さらにTVは1つだけだったので、ゲームのプレイ権の取り合いになるのですが( ^ω^)・・・
ポケモンが出たときはそれぞれ買ってもらいましたが、通信ケーブルがあれば家でも通信できちゃう恵まれた環境でして、本当に最高でした。携帯ゲーム機のおかげでTVがなくても遊べちゃう。つよい。
スーパーファミコンとわたし
中でも思い出深いのはスーパーファミコン。
生まれた時から家にあって、私の中の最古の記憶では、兄は「クロノトリガー」をプレイしていました。ちょうどカエルが登場するところでした。
その後、プレイステーションが家に来てからもスーパーファミコンで何度も遊んでいましたし、プレイステーション2が家に来てからもまだスーパーファミコンの出番はありました。
この頃には、すでに動かなくなってしまっていたのですが、家族でお金を出し合って再購入したのを覚えています。
ソフトも、あまり長い間セーブデータを保ってくれなくなっていました。ひどいものは、セーブして一度本体の電源を消すとセーブデータが消えてしまうくらいでした。
それでも、「またやりたい!」と思えるゲームがたくさんありました。1日中プレイして、徹夜してでもクリアまでもっていきたいゲームがたくさんありました。
そんなスーパーファミコンとの付き合いはいまだに続いています。
リメイク、移植、VCなどいろいろな手段で今も遊べるのは本当に嬉しいことだし、幸せなことだと思います。しかもデータが消えない。ありがたすぎて涙が出ます。
いつか、私はスーパーファミコン(とそのソフトたち)のことを兄のような存在だと形容したことがありました。
生まれた時には既にそこにいて、私と遊んでくれ、時には一緒に困難を乗り越えてくれ、私のレベルに合わせたり、困ったときにはヒントを出してくれたり、話も合わせてくれる。
しばらく会っていないくても、顔を合わせた時にまた変わらずに昔のように遊んでくれる。
つらいことがあっても家に帰って一緒に遊べば、もう大丈夫だったし、落ち込んでいても遊んでいれば笑顔になれた。
今は会う機会が減ってしまったけど、今でも救われていて、昨日のことのように思い出せて、大好きなままです。
ゲームは心の栄養
本が、音楽が、映画が、心の栄養と言われるのなら、私はゲームもそうだと思います。
ゲームの音楽は今も心に残っていて、聴いているかのように鮮明に思い出せるものも多いです。その音楽を聴くだけの時もあります。本で読んだような素敵なお話も、世界も、ゲームでも繰り広げられます。見たことのない美しい風景も、聞いたことのない音楽もそこにはありますし、いろいろな体験が待っているのです。
もちろん心の栄養はゲームでなくてもいいのですが、ゲームもそこに含んでいいのだと思います。
「演劇は総合芸術」と聞いたことがありますが、ゲームもある意味ではそうなのではないでしょうか。ゲームというのは実に多くの要素から成り立っているので、なんだか劇や映画みたいで面白いと思います。
人物が演じるところを3Dモデルを動かしたり作ったりしたものに、声を当てる。背景や小道具だって必要ですし、BGMや効果音、脚本も必要です。
実際にその場で演じているわけではありませんが、自分がその時に操作しているのでライブ感もありますし、没入感もあります。
同じ風景を見ても、自分で操作したりそこに行くまでの過程を見ているのと、ただその風景を見るだけではやはり天と地の差があるのではないでしょうか。
例えば、絵としてはそこそこの出来栄えでも、そこに行くまでのいろいろな出来事があるから美しく見えるのだと思います。
ゲームがきっかけで他のものに興味が出たりすることもあります。ゲームにでてきた歴史を調べてみたり、ゲームのモデルとなった街に行ってみたいと思ったり、悪いことじゃないと思います。
他にも、ゲームをきっかけにして友達ができたり、誰かとの話の種になったり、誰かと遊ぶきっかけになったりします。
それはゲームじゃなくてもいいけれど、ゲームだとダメな理由はありません。
本、漫画、音楽、絵画、ミュージカル、演劇、映画、スポーツ、レジャーなど、趣味として当たり前に評価され、当たり前に身近にあるようなコンテンツの中に「ゲーム」があることも多くの人に知られてほしいと思っています。